何から何まで同じ人間などいない。それぞれがそれぞれのメンタル、価値観を持っている。セレッソのサポーター同士でも、気が合わないという人間はいる。それでも、試合になれば皆一丸となって、セレッソを勝たせようと手をたたき、跳ね、叫ぶ。それはとても心地いいことだ。
一方、相手のチームのサポーターは敵であるから、気に食わないのが当たり前だ。しゃくにさわる連中とは険悪になる時もある。だが腹を割って話せば、なかなかに面白い。俺みたいな変人はクラブに何人もいるわけではない、おおよそは善良な人たちだ。
それでも、彼らとの距離は、近づきこそすれ、決してゼロになることはない。やはり根底に流れているチームの気っ風のようなものは、互いに譲れないのだ。40のJクラブ、様々なカテゴリのプロ、アマクラブ、学校、ユース、それぞれに違う価値観があり、負けられない、曲げられない部分がある。
だからこそ、サッカーは楽しい。そしてすばらしい。殴り合いではなく、罵り合いではなく、サッカーで、チャントで、コレオで、チームカラーで戦える。怪我することも、死ぬこともない。そうして泣き笑いできる。
例えば、茂庭のこと。やはりFC東京のサポーターは気にかけている。だからこその茂庭コールであり、試合後の「シャー! シャー! シャー!」があるのだ。やり方は違うけれども、俺たちがユンさんや、ゴリ前田や、ブランキー、宮本や船山に対するそれと近しい。
どこかスカすところ(昨日の高橋秀人と枝村匠馬のチャントのかぶせ合いとか)があるから「コノヤロー」と思うけれども、それが彼らのスタイルであり、愛しかたであり、対峙する方法なんだ。
昨日飲んでいる時には、逆に「尾亦(彼のプロとしてのキャリアはFC東京から始まっている)のこと話振っても乗ってくれなかった!大事にしてくださいよ!」なんて話もあったな。細かいとこまで気にしながらのスカし芸、挑発芸だからこそ、キチンとイライラするのだ。
彼らには天皇杯の「敵討ち(すでに敗退して落ち込んでた)」を条件に、靭帯を痛めている大竹の様子を温かく見守ってくれるよう話をつけておいた。結果報告は元旦の国立でやる、必ず。
アイドリングに関しても、なかなかいい落とし所、結びつきができたな。
正直円満に、お互いがプラスになる交流ってのは、この方法しか無かったと思う。そしてこういう離れ業ができるのがセレッソであり、アイドリング!!!なんだと思う。
彼女たちにはクラブからユニフォームのプレゼントをした。 しかしそれだけでは自分たちから何のアクション、誠意も無いと、彼女たちから自発的に、桜の髪飾りを自分たちで制作し、あの日身に付けるという進言があったそうだ。それがアイドリング!!!に関わる少女たちなりの流儀であり、プライドなのだ。
正直アイドリング!!!のファンの子達とは、サポーター同士よりも激しい差異を感じてしまって、触れ合うことが出来なかったが、彼らにも彼らなりの愛し方、生き方があるのだとよく勉強させられた。100メートル離れたバックスタンドからメインを貫通して、コンサート会場からの歓声がとどろいた時は驚いたよ。
FC東京のサポーター、そしてアイドリング!!!。試合に来た彼らとは、奇妙な縁ではあるけれども、繋がり合うことができた。この繋がりを無二の和として残していけたらな。お互いが認め合える存在で在り続けられるように。ということで、長くなったけれど、今日のタイトルは無二和(むにわ)。乃木希典将軍(中国にある203高地を「爾霊山」と名付けた)にならったのだけれど、うまくないな。
セレッソはセレッソとして、自分たちの大切にしているものを、これからも大事にしていこう。スタンドを俺たちの色に染め、俺たちの旗をなびかせていこう。その積み重ねが、クラブの歴史になり、力になる。恥ずかしいところカッコ悪いところもひっくるめて、おらがチーム。そういうメンタル、プライドがなければ、いくら強くても他チームのサポに認められることも、大阪という街に文化として根付くことも無いからな。
昨日のコレオでは、ゴール裏に大小のエンブレム入りフラッグが広がっていた。万博でも市章である「みおつくし」を広げた。セレッソのプライド、ハートをこれからも前に出して進もう。「これがセレッソや!!!」という気持ちを、強く強く示していこう。
昨日は異文化と触れ合うことで、自分たちのアイデンティティをしっかりと確認することができた。良い経験になったよ。
とら、ハイジ、アイドリング!!!に関わる皆さん、いい勉強をさせてもらった。ありがとう。
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