昨日のエレクトリカルパレード、前にも書いたけれど、腹立たしさのようなものは無かった。ただ切ない気持ちがあっただけで。そして同時に、妙な既視感に襲われていた。
それがなんなのか、ずっとわからなかったんだけれど、今日、思い出した。俺の好きな画家、ゴヤの描いた絵によく似ていたのだ。
誤解のないように補足したい。ゴヤは「着衣のマハ」「裸のマハ」のような美しい作品も数多く描いている。
真に美しいものを描く時、ゴヤの絵は優しく、凛と澄んでいる。
その一方で、人の持つ愚かさや醜さも等しく描いた、それも、数えきれないほど。「ロス・カプリチョス」や晩年の「黒い絵」といわれるものたちは、当時の古い習慣に固執する人をあざけり、狂気を嘆いている。人の素晴らしさも恐ろしさも、彼は全てを知っていたのだ。
果たしてサッカーの世界に、Jリーグの中に、ゴヤが描いたような群衆の狂気、憎しみと侮蔑が必要なのか。
その答えは、昨日の両チームのゴール裏に現れていたように思う。
これほど埋まらなかったガンバゴール裏も珍しい。国立のゴール裏さえ埋めた、あのサポーターたちがだ。
セレッソは、セレッソに関わる人は、ガンバが囚われた狂気や、侮蔑や、憎しみにかられてはいけない。喜びや楽しみの中に、人が求める夢であったり、そういうものがあるのだから。目の前で朽ちていく姿を見、他山の石としてほしい。
愚行はサポーターの数を減らし、スタンドを空白にし、スポンサーを離れさせ、チームを小さくする。ゆっくりとでも、回り道であっても、明るく照らされた道を、家族や、子どもや、弱いものでも共に通れる道を歩もう。
今のセレッソは弱かった。ただ、信じた明るい道を歩めば、きっと強くなれる。それをこれまでと同じように、ずっとずっと続けていくのだ。
うん。キモいです。
返信削除いろんなご意見があってよろしいかと。
削除できましたらお名前のご記入いただけると助かります。
それと、ガンバサポーターかゴヤの絵か、はたまた俺の思考がキモいのかもご記載下さいませ。
コメント失礼します。天皇杯は諸事情があり、見に行くことができませんでしたが、
返信削除ガンバサポのパレードは見ました。
私もなんか虚しさをとても感じました。以前は「えーかげんにせえよ」と
思っていましたが、今回はJ1リーグ戦とは違い、天皇杯のせいもあったのか
パレードは意味のない、やり場のない叫びにも聞こえました。
気になったのはたまたま通りががった女性の方が
「あれなんですか?」と質問されてきました。
一応「一部のガンバサポの騒ぎです」とはお答えしましたが、
ある1人の女性が「日本のサッカーもフーリガンがいるんですね」と言われたことは少しショックでした。
「ある一部の人間」の行為でせっかく見ていても楽しいサッカーから離れられていくのや
誤解を招くことはとても残念です。
よくこのページは見させて頂いているので、西中島南方さんの意見も頂ければ嬉しいです。
サッカーに関わっているたくさんの人の思いを無駄にする行為なんですよね。
削除ガンバがどうだ、セレッソがどうだと言っても、傍目から見ると「サッカー」「Jリーグ」でひとくくりなんです。
また、実際に試合に来られるお客さんで、こういうことがあるのを知らないで巻き込まれる人もいるわけで、どんなふうに言ってみても、貶されこそすれ、ほめられるものではないと考えています。
負け惜しみみたいな反論をブログに書かせてもらいました。ご一読いただければ幸いです。
返信削除あんたの考えきもすぎます
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