得点者無し
マルコ・ペッツァイオリ監督のサッカーは、見ていてメッセージが伝わりやすいサッカーだ。だからシステムとか戦術とか、そういうのが好きなたぐいの連中には受けがいい。
けれども、人間が行う全ての行為には、机上では想定し得ないようなファインプレーやミスが存在する。だから、ゴールを奪ったり奪われたりという状況が起きる。90分間ノーミスなんてあり得ないのに、それを全うしようとする遊びの無さが、今のセレッソに漂う窒息感の原因だ。
スターターは大きく変わった。システムは4-3-1-2、2トップは合流間もないカカウとディエゴ・フォルラン、その下にケガ明けの平野甲斐。ボランチに右から長谷川アーリアジャスール、アンカーの扇原貴宏、キム・ソンジュン。サイドバックはターンオーバー明けの丸橋祐介と安藤淳。南野拓実は累積警告で出場停止。
なぜこのシステムだったか?答えは川崎戦の後半、怒涛の3得点を呼んだフル・マッチアップの中にある。あの時は3-4-3の3-4に対してフォワード2枚、その下に4人を並べて川崎を押し込んだ。その上で扇原をフリーにしてボールの出どころを確保した。アレを広島でもやろうとしたのだ。
広島は攻撃に入るとダブルボランチの一人が降りて、ストッパーがサイドから上がる。4-1-5のシステムになって素早い攻撃を仕掛ける。
それに対してセレッソの布陣を当てはめると、広島の後ろ半分、各ポジションにピッタリ一人ずつつくのがわかるだろう。こうしてボールの出どころをおさえて攻撃を停滞させること、それがペッツァイオリ監督の狙いだった。
これは見事に成功した。佐藤寿人、青山敏弘という攻撃の核がいないとはいえ、あの広島をシュート3本に押さえ込んだのだから立派な数字だ。「目の前の敵に自由を与えない」というシンプルなタスクは、決め事で一冊マニュアルができるほどの4-1-2-3よりも判断が早く出来る。守備の出足は早く、ハイプレスはよく機能した。
しかしその代償として攻撃は停滞した。このサッカーでは攻撃的なポジションの選手でも守備での貢献が要求される。だから楠神順平ではなく平野甲斐を選び、吉野峻光ではなくキム・ソンジュンがスターターなのだ。90分間守備で動き回れるタフさ、という第一条件を満たさないと試合には出られない。その理屈が残っているから、攻撃でのひらめきや予想外が起きないままなのだ。交代も走り回ってガス欠した選手のパッチとしてのものがあり、攻撃のアクセントを加えるためのそれは試合に一つ程度だ。
後半22分 |
この試合での点を取りに行く交代は、後半22分の吉野峻光だけだった。残りの二つのうち後半29分の永井龍はカカウの運動量低下によるもので、後半38分の杉本健勇の投入はパワープレーのため。理詰めで、相手を崩しに行くエッセンスとしてカードを切るのが一度きりというのもゴールが遠い一因だ。永井龍は惜しいシーンを作ったけれども、シュートは枠外。決めきれないもどかしさを感じた。
後半28分 |
後半38分 |
さて、この試合で書きたいことはおよそ書いた、次の試合のことを書こう。これからの試合では、どれだけペッツァイオリ監督の考える攻守のバランスを崩し、リスクがあっても点をとる、勝ちに行くという姿勢を見せられるかがカギになるだろう。
カカウはフォルランとの連係もそこそこで、しばらく練磨すれば良き相棒になるだろう。しかし全盛期のような爆発的な突破は見られなかったから、この役割は南野や楠神が担うことになる。吉野も含め、彼ら攻撃のセンスを持ち合わせた存在をうまく使っていかなければゴールは生まれない。
例えば昨日の試合、吉野があえてバランスを崩し、予想外のドリブル突破からゴール前に侵入しミドルシュートを放つ、というシーンがあった。ああいう「人の考えの外」の動きが複数人で連鎖しないと「崩す」というシーンは見られない。安定を望まず、チャレンジする事こそ、ゴールを奪うために必要な要素だ。マルコ・ペッツァイオリが賭けに出るタイミングはいつか。もう始めてもよさそうな頃合いだが。
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