最近の家長は絶好調だ。異論は、無いよね。最初練習試合なんか観ていた時は、正直清武の方がセレッソに早くフィットするだろうと思ってたけど、(清武の怪我があったにせよ)結果は真逆で、いい意味で期待を裏切ってくれた。もし今ピッチに背番号14がいなかったらと思うとゾッとする。
同時に、これ程の選手がどうしてガンバで、大分でブレイクしなかったのか、それが不思議でならない。ガンバの、あの勢いにのった時に見せるスピードと切れ味のある攻撃。あの中に今の家長が入れなかったのが、本当に疑問だった。
でも最近になって、遅ればせながら、人間にはそれぞれその人が一番輝ける「居場所」があるってことを知った。他の人との距離や関係。環境。心のあり様。そういうのがいろいろと絡み合って、その人の輪郭になる。ガンバで描かれた彼の輪郭は、残念ながら周りの人間や、当人にとって望まれるようなものではなかった。セレッソに来て、ようやっと生きる場所を見つけたのだろう。
ガンバサポーターに誤解の無いように言うと、それはガンバの環境が悪い、というわけではない。今でも二川、橋本、宇佐美、平井、佐々木、下平、数えだしたらキリが無いほどの才能を送り出している。これは驚異的といっていい。加地のようにセレッソから大分、FC東京と移り、ガンバで最も輝ける場所を手にした人間もいる。ただ、家長の場合は、セレッソがそこだったということ。
何もサッカーに限ったことではない。オレらだって「居場所」はあるはずだ。あんまりフラフラしていると「青い鳥症候群」などというあり難くないレッテルを貼られてしまうけれど、やっぱり、生きているからにはその「居場所」を見つけたいし、そこからは離れたくはない。
時々残念なのは、傍目で見て「居場所」にいるというのに、むざむざその場所を外れていく人を見ることだ。それは酷く辛い。ただそこにいればいいのに…。なぜなんだろうね。お前さんはそこから離れてはダメだよ。何があっても。
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