夕刻迫る午後6時、知人との待ち合わせのために、鶴橋の街をブラブラと歩いていた。
大阪人なら鶴橋がどんな街かご存知かと思うが、念のために他府県の方のために注釈を入れると、ここは坩堝の中に日本と朝鮮とブルースを放り込んで100年以上煮しめた場所。ネコの額ほどの空き地を見つけることさえ難しいほど建物がひしめき合って、複雑な迷宮を作り出している。日本のなかで居心地が悪いほどの異国を感じられるのは、米軍のベースとここくらいだろう。
その只中で、一つのビルが取り壊されていた。解体用のショベルカーが一台、居心地悪そうにたたずんでいて、ビルは西側の壁さえ崩してしまえばもうそこに何があったのか誰も思い出せないぐらいにバラバラになっている。
酷い居心地の悪さを感じて、カメラをしまいこんだ後、オレは逃げるようにそこを離れた。楽しい気持ちになるためにここに来たのに、わざわざ恐ろしい気持ちに浸る必要なんて無い。
友人と合流。そう、今日は飲んで食べて騒ぐ日なんだ。案内したのはこの界隈では一番ウマイ焼肉屋さん。「万正」焼肉激戦区なんて煽られている鶴橋の外れにあるのに、いつも行列が絶えない。みな最高の肉と最高の「お母さん」に会いに来るのだ。かく言うオレも今月2回目の訪問。
店長のお母さん、みなから慕われている。肉を粗末に焼いているとお母さんの指導が飛ぶ。でも誰も怒ったりしない。お母さんの黒こげの箸で肉を焼くと、不思議なくらい肉がおいしくなっていく。それはもう、今まで適当に焼いてしまった肉に対してゴメンナサイと謝りたくなるくらいに。そうして「おばちゃんうまいわ!」と唸ると、優しい顔で笑ってくれる。牛ではないから牛の気持ちはわからないけれど、焼かれてしまうなら絶対にお母さんの箸で焼かれて、おいしくなってしまいたい。
オレらは毎日そうして何かを殺して、食べて、生を得る。罪深いことだと思う。しかしそうしないと生きていけない。だからせめて自分の生のために死んでいったもの、死んでいくものに対して感謝をして、食べる。
宮崎の口蹄疫が騒がれている中、どこかの人が「食うために殺すのも殺処分も一緒だ」とつぶやいた。大層かわいそうな人だ。畜産業に携わる人は誰よりもその罪を負って生きている。そして自らの生のために死を与えなければならない牛や、豚や、鶏にそれを償うほどの愛を注いでいる。殺処分はこの心と体の連鎖から家畜達を放り出してしまう行為だ。だから悲しいのだ。
「口蹄疫は人間には感染しません」という言葉を聞くたび、悲しい気持ちになる。オレらはこの輪の中でしか生きられない。植物を摘み、動物を殺し、そうして精一杯生きて、子を産み、育て、死んで、土に帰る。その土の上に草が生え、それを動物が食み、その動物を子供たちが食べる。その輪の中にいる仲間に対して、少し失礼が過ぎる。
この輪を守るために、オレらは自分の問題として、口蹄疫と戦わなくてはいけない。消毒液を集め、撒き、そうしている前線にいる人を助け、外れかけたリングをもう一度繋げるのだ。
大阪にいても、この戦いに加わることはできる。宮崎の畜産物を食べれば、その収入は宮崎の畜産農家のものだ。一人だけでは何も変わりがないかもしれない、でも単位が千人、万人に変われば、事態は動く。
「どうせいつか灰になるんだからいっしょ!」
万正のお母さんは笑っていたけど、少し悲しそうにも見えた。この輪の外にはずれ、殺されていく家畜達が増えるまでに、そしてオレたち自身が灰になるまでに、何かできることをしよう。黒こげの箸は無いけれど、苦しんでいる人や家畜たちのために、ベストをつくそう。
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