8/19/2012

残酷になれる理由。-セレッソの監督は誰でもいい- #cerezo

ついに、なのか、ようやく、なのか。個々人によって捉え方が違うだろうけれど、昨日の敗戦でソアレス監督の進退問題が浮上してきたようだ。

スポーツ報知の報道だからあまり信憑性はないが、札幌戦を例外とした、ここ数節のひどい戦い方を見れば当然ともとれる。

スポーツ報知

 前節を終えて16位だった大宮、17位のG大阪がそれぞれ勝ったため、一度は抜け出した降格圏が迫ってきた。危機的状況に、セルジオ・ソアレス監督 (45)の進退問題も浮上。関係者によれば、次節の横浜M戦(25日、金鳥スタ)の結果次第で、指揮官交代に踏み切る可能性があるという。


ここから先は私的な意見だけれど、プロである以上、結果が出ていないのなら、切られても文句は言えないだろう。


確かに伝え聞く限り、ソアレス監督の人格、ハートの部分はすばらしいようだ。得点をした時、選手コーチが我先にと監督のもとへ駆け寄り、包容する姿を見れば、どれほど徳があるのか容易に想像できる。


その一方で、チームを率いる指揮官に求められているものは勝利だけ。逆に言えば、勝たなければ意味が無い。


セレッソは家族的なチームだとよく言われる。それを「すぐにクビを切れ」とは穏やかではないと言う人もいるだろう。しかし家族だからこそ、家族を不幸に導く存在は許したくないのだ。

チームが下のカテゴリーに落ちるということは、例えれば離散や心中みたいなものだ。手塩にかけて育てた選手も、財務も、全てご破算になる。


選手には自分の掲げる目標があり、何より生活がある。それに下のカテゴリーに落ちれば、豊かとはいえないチームの財政もさらに悪化する。

だから、例え選手にチーム愛があったとしても、今のチームを維持することはできない。自ら離れる者もいれば、チームから売りに出さなくてはいけない者も出るだろう。


全身に病が巡る前に、毒に触れた部分を切除する。痛みを伴うことは覚悟の上で、やらなくてはいれないことをするのだ。

残酷と言わば言え。降格という現実は、それ以上に残酷で非情なのだ。「それだけ」の痛みで何かが変わるなら、うまくいくなら、それでいい。

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