おお、今日は南津守にキム・ボギョンが来てたのか。行ければよかったんだけど…。まあ、今日は与太話でも。
昨日は、パンケーキ屋とカメラ屋の間にアメ村にあるスタンダードブックストアって店にもよっている。
ここがまっとうな本屋というのにほど遠い店で、確かに本は売っているのだけど、およそベストセラーという本は1冊も売っていない、自らそう標榜しているなかなかに割り切ったところだ。そのくせトイカメラやらTシャツやら雑貨品が所狭しと並んでいたりもする。昨日は雑誌とホーローでできたマグカップを買った。
多分コンセプトとしてはヴィレッジヴァンガードに近いのだけど、あれほどがっついているわけでもなくて、居心地がいい。商売の王道ではないこういうお店が、街に一つ二つあると、少し救われたような気になる。気持ちの余裕みたいなものを感じるから。
それから、街と、食べ物も撮った。
よく知り合いに「並行とらないんですね」と言われる。言われてみると食べ物なんかはナナメに傾けて撮ったものがやたらと多い、人物なんかも同じ感じだ。
それについては意味がある。感覚的なものをできるだけ重んじて、常識のような意味のないものと、写真の中に入ってきてほしくないものは捨てているのだ。そうしたら、いらないものが削れた、磨かれた意図だけが残るように感じて、それを続けている。
色が必要なければいらないし、形も必要でなければ捨ててしまえる。そうして残った記憶に対する鍵のようなもの、人の心に触れるものだけを濾しとりたい。写真にはそれができる。
人のやっていることだからと真似しないで、自らがよいと思ったものをチョイスするのは、怖いけれど、大事なこと。俺の娘も絵の勉強をしていて、普通の勉強とは違う価値基準の中で戦っているから、それを何回か話ししたことがある。
そんな風に自分で立っていると、人とは違う何かができる。アメ村の真ん中にあるあの本屋のように、そこにしかない、その人にしかできない何かが。
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