10/31/2004

C大阪0VS2浦和 エンターティメントとしての蹴球。

 「桜狼」のゲーフラがたっぷりの雨水と、それよりも多い絶望を含んで、ずっしりと重く感じました。タイムアップの瞬間は、悔しくも無く、怒りも無く、ただ悲しさばかりが有りました。

 この試合は両チームにとって今年を象徴するゲームとなりました。

 浦和のサッカーは常に一対一に勝利し、タテに押し込み、必ずシュートで終わります。それはこのメンバーだからこそ出来るサッカーであり、またこのサッカーを貫徹する為にこのメンバーをそろえたのでしょう。

「浦和のサッカーは面白い」

 誰かが書き込んでいました。確かにこれだけ相手守備陣を切り裂くことが出来れば、フラストレーションは無いでしょう。エメルソンはまるで遠くにあるゴミ箱に紙くずを捨てるように、あっさりとシュートを放ちます。正直「もったいないことをするものだ」と思いました。しかし彼には次から次へとフレッシュなボールが供給され、チームメイトは彼を援護すべくスペースを作り、そしてまた軽々とシュートを放つのです。そしてこの試合でも、勝負の分かれ目とにらんでいた2点目のゴールを奪いました。今までも強いチームをたくさん見ましたが、浦和の持つそれは、サッカーとしては極めて異端でありながら、たいへん魅力的なものでした。前節鹿島サポーターが暴動を起こしたのは、負けたということに加えて、自分達のサッカーが極めて情けなく写ったからかもしれません。


 セレッソもまた、いつものセレッソでした。不安定な守備、構築されない中盤、勝負しない前線…。両サイドは守備に追い立てられ、ボールを奪っても、もう攻撃する体力は残されていません。「疲れたからお前が行ってくれ」とでも言いたげな無責任な横パスがダラダラと続きます。初めて通った劇的なパスは、田中達也の先制ゴールを呼び込んだ千葉のプレゼントパスでした。そして唯一の希望であった大久保は、エメルソンとは対照的に孤立し、苛立ち、カードを受け、タイムアップの笛の音を聞く事無く、涙雨に濡れるピッチを立ち去りました。西澤の投入も打開策にもならず、ただ醜態を2万2千人の観客の前でさらしているだけでした。


 今のセレッソを見る事は、正直「面白くない」です。フラストレーションばかりが溜まっていきます。苛立っているのは大久保だけではありません。サポーターも、少ない可能性にかけて、浴びせたい罵声をぐっとこらえて応援しています。いつか喜び合える日が来る事を信じ、危機的な今のセレッソを少しでも支えたいが為に、つまらない試合でも、必死に応援しているのです。雨の中でも、劣勢でも、絶望的でも…。

 今日はたくさんの一見さんが来ていました。彼らにどちらのサッカーが楽しかったかアンケートでもとってみてはどうでしょう。他人任せの場当たりな興行は、長く続くものでは有りません。確かに出来れば毎年優勝争いが出来るようなチームになってほしいとは思います。しかし少なくとも「楽しい」と思えるサッカーを、セレッソのサポーターであることに誇りを持てるサッカーをしていただけないものでしょうか。チームの皆さん、お願いします。

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