3/25/2006

言葉は感情的でも、残酷でも、無力でもない。

 とある映画のセリフで

「機械が一人でわるさをするわけじゃねぇ、いつも問題なのは使うやつの方さ」

 というのがあって、とても気に入っています。核ミサイルでもスイッチを押す人間がいなければ何も変らない、小石だって思い切り投げつければ誰かが怪我をする破目になる。

 「機械」というところを「言葉」に置き換えても、意味は通りますよね。特に私なんか心の有り様そのままを書き連ねるものだから、色々と軋轢を生んできました。この場を借りてお詫び致します。


 今回某掲示板でROUの方のメッセージが書き込まれました。その事自体も異例でしょうが、文章自体も実に誠実に、自分達が行っているボイコットに至った経緯を説明されていました。普通は(前例があまり無いんで何をもって普通かは曖昧ですが)高圧的だったり、一方的だったり、多少の「雑味」が有るものなのでしょうが、実に慎重に、素直に今の気持ちを綴られていました。

 別にどんな行為でも丁寧に説明すれば免罪されるわけではないですが、少なくとも説明責任を果たしている点、そして個別に応援使用としている人々に対して黙認している点に関して、評価されてもよいものだと思っています。


 そして応援を行おうという運動も、多少の煽りなど有るものの、言葉を介して着々と進んでいるようです。彼等がROUのアンチテーゼとしてではなく、選手の為、チームの為に立ち上がったことも素晴らしい事です。太鼓やダンマクの用意もしているようですし、明日は注目しています。


 セレサポがこの苦しい時期でも尚、論議によって行動を取り決める姿勢を崩さない事を誇りに思います。セレサポになって本当によかったと、チームがどん底の時に思えるなんて、不思議なものですね。


 

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