ガンバの新スタジアム、寄付が集まっていないらしい。
今のままだと、仮に4万人が収容できるスタンドができても、屋根がなく、座席もなく、電気も通っていない、トイレ無しのスタジアムになってしまうそうだ。本当にピッチとスタンド「だけ」のスタジアムになる、ということか。詳しくはリンク先にて。
このケースは明らかに見込み違いなところがあって、まあやっちゃったなってところもあるけれど、日本人のスポーツに対する取り組み方にも問題がないわけではない。
日本におけるスポーツは、平たくいうと学生のうちは「教育」、社会人になると「広告」でしかない。
若いうちは軍隊の訓練と親しく、理不尽や苦しみに耐えることを是とする。運動しているのに水を飲むなと言われたり、上下関係が厳しかったり、そんなものは本来スポーツとは何の関係もないものだ。
また、企業に入ると(一部の私立校なんかもそうだけれど)クラブを持っている母体の知名度アップのために「広告塔」になることを余儀なくされる。だからお金があるうちはいいけれども、景気が悪くなればバッサリと切られる。あくまで福利厚生や愛社精神のためにかけられたカネだから、絞ったって当然でしょう?というわけだ。
スタジアム(野球だろうがサッカーだろうが陸上だろうが)が軽視される時に、維持費がかかる、使い道がないなんて切り口から入ってくるのも、スポーツ施設なのにゼニカネを産まないなんて、という性根がある。
もしスポーツが、誰しもの身近にある「文化」であったなら、もう少し話は違ってくるだろう。
例えばよく言われる維持費だけれども、長居スタジアムの場合は差し引きおよそ5億円かかるそうだ。実にけしからん、取り壊せ、税金返せとも言いたくなる。うんうん。
この金額は、城郭の維持費にも近しい。和風総本家というテレビ番組で城郭の維持費を取り扱ったことがあったそうだが、姫路城で3億、彦根城で2億、松本城で5億程度の維持費がかかるとのこと。
城郭は公園と違い、堀だの石垣などが入り組み行き来しにくい作りになっている(そのための堀と石垣だから当然だけれど)。そんな公園にも劣る、広域避難所にもなれない木偶の坊が街のど真ん中に鎮座ましましているのだ。これまた実にけしからん、取り壊せ、税金返せな話だ。本当に今の都市には無用の長物が多すぎる!! ん?違う?うまく誘導できたと思うのだけれど、外したか。まあいい。
もし城郭に対して、無駄とは思わない、と感じた人とは、まだどこかで心を通わせられる可能性を持っているかもしれない。「城郭は歴史あるものだから」という意識、何かしら「誇り」のようなものを感じているハートこそ、スポーツにも付随すべきものだから。
そう、スポーツも本来はそうなのだ。やって楽しい、観て楽しい、仲間が増え、心穏やかになる、そういうものなのだ。後先をキッチリと考えて施設を作り、身の丈運営さえしていれば、お金では測れない有形無形の恩恵をもたらすものなのだ。
「おらが街のクラブ」がもつポテンシャルは、松本山雅が地域リーグからJFLに昇格した年のドキュメンタリー「クラシコ」を見ていただければと思う。スポーツは大の大人が一生情熱を注ぐに値する、立派な文化だということをご理解いただけるはずだ。
ハコモノありきの行政と、それにくっついたゼネコンと、そんなものに踊らされているから、ブレる。そんな人間こそ、本当の無駄で、それこそバッサリと切って捨てるべきなんだけど。
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