4/11/2006
信頼。
会社に元同僚がやって来た。あまり長い時間一緒に仕事をしたわけではないけれど、歳が比較的近かったり、共通の話題があったりで、わりと気心の知れた「戦友」。
だからというわけではないとは思うけれど、二人でやると仕事がわりとはかどる。というかストレスを感じない。
私は彼の長所短所を知っているから、場面場面でミスしやすいところをカバーするし、彼も私の短所を知っているから、ミスしやすいところを確認してくれる。表層的な成果はあまり変らないのだけれど、そこに至るまでに消費するエネルギーが全然違う。二人とも御世辞にもいい仕事はしていないのだけれど、二人でやればとりあえず形にはなる。
一仕事終えて、ふと随分昔の事を思い出した。磐田に1-9で負けたあの試合だ。あの時家内と私はまだ結婚していなくて、試合を観るのに長居スタジアムで現地集合という事にしていたのだけれど、家内が道に迷って前半が観れなかった。スタンドに着くとスコアは0-2。今と違って攻撃サッカー全開だった(というか守備をおざなりにしていた)セレッソだったので「これぐらい平気平気」と息巻いていたら、後半7点も叩き込まれてしまって、えらくへこんだ。
あの試合で覚えているのが、選手同士の「不信感」。味方を信じず、とにかく無難にプレーしようとするあまりに、サッカー自体のスケールまで小さくなって、何度も緩慢な横パスをかっさらわれてた。磐田はセレッソの半分くらいの時間でゴール前までボールを運び、簡単にゴールを決めていった。
「信じる」とか「感じる」っていうのは、実社会でもなかなか難しい。けれどサッカーは信じたり感じたりという作業を、それこそ刹那的に行わなければいけない。それは私が思っている以上に難しい話なんだろう。
今のチームはミスが目立つけれど、その殆どが「不信」から来ているように思う。中盤が信じられないから、前線が下がってしまう。DFラインが信じられないから、不用意に飛び出してしまう。パスが出ると信じられないから、フリーランをしない。その積み重ねが、もうサポーターにまで感染してしまった。
チームはまだいろいろとストレスを抱えているから、この凝り固まった「不信」を全て取り外すのは容易ではないだろう。だからとりあえず自分からもう一度「信じる」という事を始めようと思う。この先どんな艱難辛苦が有るか知れないけれど、とりあえず私はセレッソというチームを「信じる」。これが私なりの反攻。
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