6/13/2006

批判はすれど対案なし。

 日本戦が終わって、記事を書いたら、妙に眠くなってぐっすりと眠れました。でも中には悔しくて眠れなかった、という人もいるでしょうね。興奮して、やり場の無いフラストレーションをどう解消するかに四苦八苦するうちに朝になる。

 で、新聞や掲示板なんか見ながら、ここがダメだった、とかいう話になる。バッシングできる対象があればとにかく叩くなんていう人も、結構いると思います。


 プロなんだから結果を出してなんぼな訳で、失敗すれば叩かれるというのは当たり前。選手やチーム関係者は深く反省しましょう。でも一通り事が済んだら、一刻も早く気持ちを切り替えて、汚名を返上するよう集中してほしいですよ。


 そう、今日のお題なんですが、このバッシングというやつは、なかなか厄介というか、あまりいいもんじゃない、というお話。

 別に「選手達は一生懸命頑張っているんだ、批判するな」というスタンスではなくて、バッシングに使うエネルギーって勿体無くないかってことなんです。


 自分が思う通りに事が運ばない時は、そりゃイライラしますよ。人当たりもいつもよりトゲトゲしたりしてね。

 でも代償行為に走るんなら、まん前から問題にぶち当たってみて、こうした方がいいという対案を作ったほうが、余程建設的だと思うんですよ。

 今回の場合はドイツでやってる事なんで、私らには全く口を挟む事も出来ないんですが、例えばJとかなら、何とかなるでしょう。ああいう感じです。


 ここがダメって気が付いたのなら、すぐにそれを補う方法を考えて、行動する。その為にエネルギーを使えば、イライラも少しは収まるでしょうし、何より苛立ちの根源が少しはマシになるんですから、良い事尽くめでしょ?

 もしそれが面倒だ、というなら、その人のストレスはそれまでのものだったって事です。お酒でも飲んで、不貞寝すればいい。でも本当に変えたければ、まず自分から変わらないとね。少なくとも戦犯探し、個人批判に躍起になっているうちは、あんまり進歩しませんよ。


 

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