私はセレサポのクセにオシム老が好きだ。以前一度「オシムと西野では監督としての能力もさることながら人間性に決定的な違いが有る」などと酷い記事を書いて、予想通りガンバサポから凄まじいメール攻撃を食らったけれど、それでも好きだ。
オシムがジェフで実践している運動量と判断力、そして組織力をベースにしたサッカーも大好きだ。ナビスコカップの準々決勝ではえらい目に会ったけれど、それでも、というかそれだからこそと言うべきか、相変らずその気持ちは変らない。日本人が他のサッカー大国と勝負するなら、オシム監督が持っているフィロソフィーをしっかり分析するべきだとさえ思っている。
しかし、あえて言いたい。オシムは代表監督になるべきではない。
オシムジャパンは、今の代表よりも強くなれる可能性を多分に秘めている。トゥーリオ、今野、阿部、松井、大久保、田中達也、藤本淳吾、本田圭佑、平山、家長、前田俊介。今は小粒かもしれないけれど、スタミナと、テクニックと、経験を糧に出来る熱いハートを持った選手は沢山いる。彼等がオシムイズムを吸収していけば、日本代表は今私達が予想しているよりもずっといいチームになるかもしれない。観てみたいという欲求は当然ある。
それでも反対するのは、日本サッカーは4年後だけを見ていてはいけないという想いが有るから。2010年には69歳になるオシムを担ぎ出した協会に、深い信念とか広い視野を感じないから。
もしここでオシムがアイロニーというスパイスをたっぷり振りかけた辞退のコメントを発表すれば、協会は冷や水だの泥だのを浴びるだろう。そして混乱と再構築が始まる筈だ。その間代表は弱体化するだろうけれど、その先には地に足の着いた環境が待っている。8年かけて築かれた拝金主義のヒエラルキーを崩す為には、それくらいの荒療治が必要じゃないだろうか。
もう一つの理由は、もしこの動きがスムースになれば、よりクラブチームの価値が下がってしまうのではという危惧だ。例え素晴らしいチームを作っても、「代表の為」という錦の御旗の下に簡単に人材を奪われるのではたまったものではない。
ジェフサポは今回の騒動をどう思っているのだろう。チェ・ヨンスを奪われ、茶野を奪われ、村井を奪われ、今度は頭脳とも言うべきオシムを奪われようとしている。私が同じ立場ならとっくにキレてるけれども。
そうだ、反論を書くなら対案を出さねばならない。あまり海外サッカーに詳しくないので名案は浮かばないのだけれど、選手、監督としての経験が有り、日本を熟知し、野心的で若い指導者というのならリトバルスキーなどどうなんだろう?やっぱり素人っぽい考えになってしまった…。
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