12/30/2004

大久保と井川。海外移籍について。

 昨日で今年の仕事はすべて終了。のんびりテレビでも見ようかね、なんて思っていましたが、やっぱり年末は面白くない番組ばっかりでボーっとしてます。

 折角高校サッカーの季節なのに扱いは小さいですし。磯貝、本山、柳沢、大久保、平山みたいな強烈な個が無いと、扱いづらいのは判りますが、もう少し見てみたいなとおもってます。


 何度も書きますが、関西はサッカー不毛の地だったりします。スポーツ新聞のヒエラルキーでいうと。

1位 阪神(ダントツ)

2位 セリーグ
3位 競馬(野球がシーズンオフで開催日前日なら一面は大抵こっち)
4位 パリーグ
5位 メジャー
6位 海外サッカー
7位 国内サッカー

 という感じかな。小野が足を痛めても、星野さんがなにか爆弾発言をすると一面は星野さんです。スポーツ新聞各誌の関西板でも「阪神」と「野球」は別カテゴリーだったり、とにかく阪神至上主義なのです(参考までに、日刊スポーツなにわWEBスポニチOSAKA)


 で、このところ関西では連日井川のメジャー移籍話が大きく報道されています。ほぼ毎日その話題です。

12月29日

阪神・新旧社長タッグで井川説得目指す

12月30日

井川HPで心境を吐露「今が挑戦する時」


 今回の件に留まらず、日本のプロ野球からメジャーへ挑戦する事を、多くの野球ファンが「海外流出」と捉えています。


 ところがサッカーではJリーグから海外、とりわけ欧州リーグへ移籍するという話が有っても、反対意見など殆ど無く、むしろ「行って来い!」と暖かく見送ることが慣例化しています。

 両方ともチームの主力が抜けてしまうのですから、痛手になるのは同じことなのに、どうしてこんなに雰囲気が違うのでしょう。


 ひとつに歴史の違いが有るように感じます。プロ野球は半世紀近くも、鎖国のような状態が続いていました(実力が無かったということもありますが)

 もちろんマッシー村上氏のような例外もいましたが、日本のプロ野球選手が海外に出る、なんてことは基本的に「想定外」だったわけです。野茂がメジャー挑戦を口にした際の混乱振りが、それを裏付けているように感じます。

 今ではポスティング制度などメジャーへの道が徐々に整備されていますが、それでも「挑戦」がスムースに実現されることはまれです。


 サッカーの場合は、アマチュア時代から、常に「世界」を意識してきた背景が有ります。オリンピック、W杯など国際試合が多く、否応無く世界との差を思い知らされてきた歴史があるのです。

 クラマー氏などを招聘し、数多くの外国人選手を招く。日本サッカーを「世界」と対抗しうるレベルに引き上げる為にはその「世界」と積極的に接している必要が有りました。

 プロ化してからはこうした意識がより強いものになりました。いくら国内でよい成績をあげても、海外で通用しなければ、観客動員に影響が出ます。逆にそういう選手を輩出すればスタジアムに来る人の数はおのずと増加します。

 野球と同様今まで選手のレベルが低かった為、外国への移籍は奥寺氏の登場を待たなくてはいけませんでしたが、元々世界に対してオープンな土壌がある訳です。


 また、それと関連付けられるのですが、「代表」に対する意識の差も、このギャップを生んでいる原因ではと考えます。

 国際試合の多いサッカーでは、クラブよりも代表が優先されます。例えばどこかのクラブチームの主力が海外移籍をする、ということになった場合。クラブチームにとってはマイナスになっても、代表という大きな枠組みで見た時には(移籍によるレベルアップが見込める為)プラスになるわけです。

 その意識がクラブチームの運営に携わる人間にまで行き渡っている為、海外移籍を容認できる素地が出来ているのです。


 ところが野球の場合、優先権は各球団が持っています。例えそれがオリンピックであっても、シーズンを中断するなどもってのほかなわけです。ここで重要視されるのはあくまで国内での興行であって、極端な話日本野球のレベルは二の次なのです。

 仮にメジャーに移籍しても、今の状態では代表に参加することが出来ません。そうなってくると、海外移籍は単純に戦力ダウンしてしまうだけではなく、日本のプロ野球ファンの意識がメジャーに移ってしまうなど、球団にとってマイナスの効果しかないのです。

 世界レベルでみると、野球というスポーツはまだまだマイナーなスポーツですし、一概に日本球界だけが悪いというわけではないのですが、選手の「自分自身のレベルを引き上げたい」という意識は競技者として当然の欲求です。出来ることならそうした意識が、もっと素直に満たされるプロ野球であってほしいと思います。



0 件のコメント :

コメントを投稿