7/04/2006

芸術家の一生。

 ある日家内が一冊の画集を私に見せてくれました。オーブリー・ビアズリーという、イギリス近代の画家のものでした。

 初めて見た彼の作品は、全く恐ろしいものでした。緻密で、完璧な線。その濃密な集合体が肉となり、布となり、花となり、世界を形作っていました。美しいけれど、それよりもまず、恐ろしいと感じる作品の数々。

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 しかし、画集の写真はどれも小ぶりなものばかり、私は家内に尋ねました。

「もっと大きな写真があればいいのにね」

「それは無理よ。だってそれが原寸ですもの」

 私は家内の言葉が信じられませんでした。大きなキャンバスでないと、常人、いや殆どの画家には、この情報量は収めきれない筈だから。

「彼はこんな仕事ばかりしていたの?」

「そうよ」

「こんな微細な絵ばかり描いていたら、心も体ももたないよね」

「そうよ」

「?」

「ビアズリーって、早くに死んでしまったの。たしか20代だったはずよ」


 画家と言うと若くして亡くなる方が多いので、とかく病弱なイメージが有りますが、実際は必ずしもそうではありません。素晴らしい作品を描く為には、たいへんな労力がいるのです。

 考えてみてください、多くの人が素晴らしいと感じられる作品を描き続ける為に、どれほどの肉体的疲労が伴うか。その一筆ごとに、どれほどの集中が要求されるか。夭折された多くの画家達は、彼等の持つ全てを、芸術に捧げたにすぎないのです。

 ビアズリーの場合は、ずっと喀血を繰り返していたそうですが、もし治療に専念していたなら、25歳でこの世を去る事はなかったはずです。



 今日、日本で最も素晴らしい芸術家の一人が、その活動を停止しました。彼の筆は、鍛え上げられた肉体。キャンパスは、110m×75mの芝生。

 日本、イタリア、イギリス。世界のありとあらゆる場所で、彼は美しい作品を作り続けました。そんな作品を描く為に、彼はどれほどのトレーニングを重ねたのでしょうか。

 それを考えると、29歳での「断筆」は、決して早すぎるものではありません。それにまだ彼はまだ生きているのですから、後に続く者達に何かを伝える事も出来る。それは素晴らしい事です。今はただ「お疲れ様」。でもいつか、私達の前に戻ってきてください。


 

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