ある日家内が一冊の画集を私に見せてくれました。オーブリー・ビアズリーという、イギリス近代の画家のものでした。
初めて見た彼の作品は、全く恐ろしいものでした。緻密で、完璧な線。その濃密な集合体が肉となり、布となり、花となり、世界を形作っていました。美しいけれど、それよりもまず、恐ろしいと感じる作品の数々。
しかし、画集の写真はどれも小ぶりなものばかり、私は家内に尋ねました。
「もっと大きな写真があればいいのにね」
「それは無理よ。だってそれが原寸ですもの」
私は家内の言葉が信じられませんでした。大きなキャンバスでないと、常人、いや殆どの画家には、この情報量は収めきれない筈だから。
「彼はこんな仕事ばかりしていたの?」
「そうよ」
「こんな微細な絵ばかり描いていたら、心も体ももたないよね」
「そうよ」
「?」
「ビアズリーって、早くに死んでしまったの。たしか20代だったはずよ」
画家と言うと若くして亡くなる方が多いので、とかく病弱なイメージが有りますが、実際は必ずしもそうではありません。素晴らしい作品を描く為には、たいへんな労力がいるのです。
考えてみてください、多くの人が素晴らしいと感じられる作品を描き続ける為に、どれほどの肉体的疲労が伴うか。その一筆ごとに、どれほどの集中が要求されるか。夭折された多くの画家達は、彼等の持つ全てを、芸術に捧げたにすぎないのです。
ビアズリーの場合は、ずっと喀血を繰り返していたそうですが、もし治療に専念していたなら、25歳でこの世を去る事はなかったはずです。
今日、日本で最も素晴らしい芸術家の一人が、その活動を停止しました。彼の筆は、鍛え上げられた肉体。キャンパスは、110m×75mの芝生。
日本、イタリア、イギリス。世界のありとあらゆる場所で、彼は美しい作品を作り続けました。そんな作品を描く為に、彼はどれほどのトレーニングを重ねたのでしょうか。
それを考えると、29歳での「断筆」は、決して早すぎるものではありません。それにまだ彼はまだ生きているのですから、後に続く者達に何かを伝える事も出来る。それは素晴らしい事です。今はただ「お疲れ様」。でもいつか、私達の前に戻ってきてください。
0 件のコメント :
コメントを投稿