7/27/2006
C大阪1VS5FC東京 心置きなくマケダン開始。
これが現実というやつなのだな。出資を惜しみ、伝統に胡座をかき、チーム補強の労を怠り、慢心したまま開幕し、無為無策に日々を過した、これが現実というやつなのだな。
ゲームが始まった時、両チームにそれ程の差が有るとは感じなかった。両チームとも中盤が上手くいかないのでボールが落ち着かず、あまりしまりの無い展開だった。
それでも最近のセレッソにすれば、比較的ましな出足。やはり森島寛がいるとチームが変る。古橋も本来の居場所である左に戻って果敢にチャレンジしていた。
先制点は、多分、というか間違いなくクロスのミスキックだったけれど、攻撃のアクションをしなければそんな偶然も起きないのだから、そういう意思を持ってプレーした古橋を褒めなければいけない。この試合で褒められたプレーといえばこれくらいなのだし。
そう、喜んでいられたのは僅か15分程だった。警戒していた筈のサイド攻撃で守備が崩され始めると、2列目から入ってきたこれまた要警戒のルーカスを捉えきれず、実にあっさりと同点にされる。
こうなると、もう幸運など起こらない。もし有ったとしても、下を向いていた選手達には見えなかったろう。いや、ひょっとしたらピッチを冷静に見渡す事すら困難だったかもしれない。前半何とかタイで終えたいという淡い期待も、素早いカウンターで吹き飛ばされてしまったのだから。前半が終わった時のブーイングは、選手にどう聞こえたのだろう。
そして後半早々に、このゲーム最大のポイントがやって来る。前半イエローを一枚貰っていた古橋が、軽率なバックチャージで二枚目のイエローカードを食らい、残り43分間を10人で戦わなくてはならなくなったのだ。
この退場はただの退場ではない。ただの退場でも問題ではあるけれど、「低迷しているチーム」の「率先してチームを牽引していかなくてはいけないキャプテン」が「既に警告を一度受けている」という事実を忘れたかのような乱雑なプレーを「これから流れを変えていかなくてはいけない時間帯」にやってしまったのだから。
これまでも古橋のキャプテンシーを疑問視した声が有ったけれど、私は今までそれほどその話題を取り上げなかった。古橋は古橋なりの考えが有って、彼なりのキャプテン像を模索しているのだと思っていたから。
しかしこれはあんまりだ。何処にも弁護の余地が無い。ミッドウイークに長居まで駆けつけたサポーターに対して、あまりに不義理な幕引きではないのか。
チーム状態を考えれば、この時点で勝負有りだった。しかし残った10人は僅かな残り火をかき集め、ささやかな反攻を試みた。
そのきっかけは皮肉にも退場によるポジション変更によるものだった。1トップで柿本が残り、その下に大久保。ピンゴが左前気味に回り、ポストの後ろに攻撃的な選手が3人並ぶ形になった。
この形だと2列目がよく動く。森島寛と大久保が近いのでコンビプレーでの突破も出てきた。光明が見えた瞬間だった。
その芽を摘んでしまったのは、他ならぬ塚田監督だった。怪我明けの森島寛にフルタイムのプレーは不可との考えがあったか、森島寛と酒本を交代させてしまう。酒本は同じポジションに入ったものの、サイドに張るスタイルの為に柿本や大久保等とのスペースが開きすぎてしまった。
この交代によって、セレッソはシュートを打つ事すら難しくなってしまった。守備は集中を切らせ始め、チームが10人の個へと分裂していく。足の止まったセレッソ陣内を、FC東京の選手達が清流の川魚のように、軽やかに泳いでいく。
今野が吉田のアキレス腱である角度の無い位置からのニアサイドへのシュートを苦も無く決めた後で、苔口が登場。しかし彼もまたサイドに大きく張り出し、前の二人はいよいよ孤立していく。
最後のカード、柿本に代えて徳重、これに至っては未だに意味を見出す事が出来ない。15分間という時間で、彼はどういうプレーを要求されたのだろう。
多分今日セレッソのユニフォームを着ていた人間で、最もタフな仕事をしていたのはゴール裏ではなかったろうか。タイムアップの笛が吹かれるまで、何度失点を重ねても、挫けず声を出し続けていた。怒号やブーイングも混じっていたけれど、ストイックに「闘おう」と歌い続けた。今年は今まで色々な事が有ったけれども、今最もチームに必要な最後まで諦めない姿勢を、キチンと持っていた。
次節は古橋が出られない。否が応でも他の選手がキャプテンマークを巻かなくてはいけないわけだ。それが良いニュースかも知れないというのが、悲しい。
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