8/11/2006

胡散臭い世の中になったのか、今までもそうだったのか。

 今日はまず昨日の記事とデモの動画を見た家内の話から。前置きしておきますが、家内はサッカーのファンでもサポーターでもありません、ただ私のそばにいる為にサッカーに関する雑学というか、細かい事はよく知っています。

 そんな家内が抱いた印象は「みんなノリがいいし、プラカードとかおもろい」でした。まず

kakkowarui.JPG


 というプラカードがヒット。さらに

kaete.JPG


 が「クリティカル・ヒット(本人談)」しました。それから「カワブチ!カワブチ!くそったれ!!」のコールを聞いて。


「ああ、クソッタレっていっちゃったねぇ」



 とポツリ。これには私がクリティカルヒットしました。そうそう、別に「いっちゃったねぇ」ですましちゃえばいいんですよ、ハハハ。



 冗談はここまでにして、真面目な話をしましょうか。

 最近2ちゃんとかROMっていてつとに感じるんですが、時々ニュース系の板のスレがよく「変質」していってませんか?


 例えばボクシング、あの疑惑の世界戦について。

 最初は試合そのもの、そしてそのバックにいる黒い何かについて、つまり本質的な部分についての議論がなされていました。しかし今はビットクルーのスタッフをあぶりだす事に焦点が集まっています。「ビットクルースタッフの自爆」が引き金だそうですが、それによって本来議論すべき部分に与えられる力と時間が大幅に減ってしまいました。


 今回のデモについても、議論を「変質」させようという意思が介在している気配がします。例えばデモにかかわる事が、格好悪い、ナンセンスな行為であるという書き込みがやたら多い。そしてデモの効果に関する疑問、というか否定、罵倒の量もどうもおかしい。

 こういうアンチ的な書き込みに反応しているだけで、スレッドはあっという間に消化されてしまい、スレッドが進む程に推進力や切れ味を失っていきます。そうしてその運動自体が失速してしまう。


 このパターンにはまらない為には、批判の選別が必要だと考えます。自らとイデオロギーの違うすべての意見をシャットダウンするのも考え物ですが、プラスになる議論とそうでないものを並列化するのは危険です。

 批判する側も単にディティールを非難するのではなく、「こうすればもっと良くなる」といった建設的で、次に繋がるコメントをすべきでしょう。「サッカーなんか無くなってしまえ」と思っている人や、協会に組する人は別ですが。


 子供の頃は「そういう事」なんて無いと思っていましたし、多感な高校生の時でさえ「そんな話妄想癖の人が言っているだけさ」と信じていましたけれど、どうもそうではないようです。くれぐれもご注意を。

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