8/16/2006

僕らが知りたいことはそんなことじゃない。

 昨日のニュース番組は、小泉首相の靖国参拝一色になった。というか、そういう編成になっていた。左派だった加藤氏の実家が放火されるなどショッキングな事件が重なって、各局ともオーバーヒートしてしまいそうな報道ぶりだった。今はテレビなど見ていないけれど、多分今朝起こった北海道でのロシアによる日本の漁船拿捕のニュースなど、あまり取り上げられていないんじゃないだろうか。


 先の川淵氏解任デモの際にも感じたことなんだけれど、最近テレビが流したい情報と、私達が知りたいと感じている情報に、差が生まれているような気がする。

 デモの際の報道のされ方はこうだった。まずトリニダート・トバコ戦の様子が流れ、その次にデモの準備に追われる参加者達が映される。なぜ今デモを起こすのか、最低限の説明がなされた後に、デモの様子の画像。ここでは刺激の強いプラカードがクローズアップされる。デモに参加していた人のコメント、そして最後に、「一般のサポーターの代表」として、何人かのレプリカを着た人達の「川淵さんはJリーグを立ち上げた立役者なのに」という意見が出る、といった感じ。

 日本語で文章を書く場合、大抵伝えたい事程最後に書くのが効果的とされる。例えば同じ事象を書く場合でも、「貴方はガンだけれども、治療すれば完治するケースがある」と書けば希望的な見方が出来るが、「完治したケースもあるが、ガンだという事を認識してほしい」と書いてしまえば前向きに捉えるのは難しい。今回のデモの場合は、恐らく発起人の意図とは別の報道のされ方をしたのではないだろうか。このビデオのつくりだと、デモを起こした人達は「一部の変わり者」程度の印象しか残さない。


 アマチュアの人によって、本当に望んでいたニュースや動画を、ブログやYOU TUBE等で補完して貰っているから、ある程度のガス抜きはされているけれども、この状態があまりいいとは感じない。既存のテレビや新聞といったメディアを「古いメディア」としてバッサリと切り捨ててしまったほうがいい、とまでは言えないけれど、それらの流す情報の信用度が下がり始めているのは事実だ(例えば映画を観る時、映画評論家の評価よりも、一般の人達のレビューを参考にするのは、その端的な例だと思う)。「ウソをウソと見抜く」力、以前はネット掲示板だけに必要な能力であったけれど、今は生活を営む上で必須の能力になりつつある。

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