2/23/2005

30分に一人ずつ。

 今回はこのブログを作った経緯を書いていきます。あまり楽しい話でもないですので、お時間と興味をもたれた方だけ御覧下さい。




 何度もここに書いていますが、私は鬱病持ちであったりします。発症から3年以上経つのですが、寛解(精神疾病の場合は治癒した場合、全快ではなくこちらの言葉を使います)とはいかず。毎日お薬を飲みながら、だましだまし生活を続けています。
 精神疾病というものの厄介なところに「治っているのかいないのか判断がつきにくい」という点が有ります。骨折ならレントゲンを撮れば判りますし、風邪なら体温や咳鼻の類の回復具合で推し量る事が出来ます。ですが「こころ」というものは、自分にすら見えないものですから、もう大丈夫、と思っても、まだ治っていなかったなんて事はまま有るのです。
 
 もう一つ厄介なのが、鬱病が死に繋がる疾病である事。表題にもさせて頂きましたが、日本では毎年18000人の鬱病患者が亡くなっているという事実が有ります。スタジアムでいうと市原臨海とか、日本平がいっぱいになるくらいの人数です。
 鬱病患者がどうやって死ぬのか、というと、それは自殺です。ややこしい事に寛解直前の、行動力が回復してきた状態が一番危ないのだそうです。私は治りかけたことも無いのでよく判らないんですが。
 ぶちまけてしまうなら、人間誰しも「消えてしまいたい」「死んでしまいたい」という苦労や失敗をするものだと思っています。ただそれ以上に生きていたいという理由のようなものがあって、それを押し留まっていられるだけの話で。
 ただこころの有り様が平静でない人は、それに気がつくことが出来ずに、踏み越えてはならぬ一線を越えていくのです。
 私だって、死にたくはありません。いろいろ残している事も有るし、多分そんなに多くは無いだろうけれど、私に生きていてほしいと思ってくれている人もいるだろうし。
 でもたまに「私がいると、みんな迷惑かな」と感じる時が有りました。「死にたい」なんてレベルじゃなくって、ちょっと安静にしていれば収まる程度ですけれど。すこし冷静になってその時のことを頭の中で反芻して、いつも「ちょっとやばかったんじゃないか」と、ぞっとしていました。
 で、このブログを作った経緯に至るのですが、ともかく第一に「誰かの役に立ちたい」という気持ちが有りました。どんな些細な事でもいいから、世の中の一部になりたい、何かと接していたいという感覚。疎外感みたいのが付きまとっていましたから、それを払拭したかった。
 それで何が一番マシなんだろう、役に立つんだろうと思った時に、心の拠り所の一つであったサッカーを題材に、こんなテキストサイトはどうなんだろうと、そう考えたのです。「狂人」である私の想いと、健康なこころを持つ人達の想いがどれほど乖離しているのか知りたかった、というのも有ります。ブログランキングに登録しているのは、見てくださった人達が、どれほど共感して下さったのか知りたかったからです。
 最初は私の記事がどれだけの人に受け入れられるのだろうか?などと心配もしましたが、幸いなことに、思っていたよりもずっと多くの方が、このブログを訪れて下さっています。ランキングも、不釣合いなほど上のほうに押し上げていただいています。
 もちろんそれが「世の中の役に立つ」こととイコールではないのは承知しています。それでもコメントやトラックバックを頂く度に、何か次に繋がっていくような気持ちになります。
 それらを目当てに記事を書くことが出来るほど、私は器用ではありません。いつもありったけの考えをぶちまけるように書いています。ですから、なおさら嬉しいのです。
 これからも、飾らず気取らず、思いの丈を書き綴っていきます。よろしければ、しばしの間ではございますが、お付き合い下さい。

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