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高校サッカー界に投じる一石
広島観音は全体練習を週3日しかしない。(中略)そのほかは試合か自主トレということになるが、自主トレは出席義務はなく、畑監督と選手が週3回交換日記形式でつけている『サッカーノート』に「今日は帰ってデートします、「温泉に行って来ます」などと書いて休んでも全然構わない。選手の自主性にかなり任せている。
「この年代は週3回しか全体練習しないのがいいと思っています。まずケガが減ります。さらに選手のサッカーに対するモチベーションも高まります」(一部抜粋)
一見すると「そんなんでチームとしてまとまるのか」とか「フィジカルへろへろにならない?」なんて思いますが、
大会直前、大津市で選手権出場チームが集まって最終調整のための試合をした。ここで強い相手と試合をしたことで守備力が固まった。国見に2-0で勝ち、大津とは0-0で引き分けた。
とのこと。あのフィジカルの権化、高校サッカー界最強のヒールである国見に勝っているのです。
記事のポイントは、「長時間無目的に練習するより、集中して中身の濃い練習をする事」「選手の自主性を重んじ、試合中も常に考えてサッカーをさせる事」の二点。特に二点目は市原オシム監督の考えにも似ているようで、非常に興味を持ちました(私は"オシムマニア"ではないので深く掘り下げられません、ここらへんはヘルプです)
で、話を一度大きく飛ばします。住吉高校の話。我が母校です。
この高校、公立のくせにやたらと自由な校風なんです。一応学区では2番目に難しい公立校なんですが、校則というものがないんです。
髪の毛が緑色でも、昼から授業に出ても、タバコを吸おうが酒盛りしようが麻雀しようがパチンコしようが先生は全然怒りません。若干違法な点もありますが、住高ではOK、ある意味治外法権ですね。
その代わり、髪染めてハゲになっても、勉強ができなくなっても、肺を痛めても、誰も助けてはくれません。それが本当の自由なんです。自己責任ってやつです。
生徒もそれがわかっているので、校内が荒れるとか、そういう事にはなりません。ちゃんと勉強もします。そうした学生生活の中で、常に考えながら行動する事を学んでいくんです。
はい、ちゃんと話の本筋に戻って来れました(笑 私は今の日本のサッカーに欠けている要素の一つに、「自主性」があるように感じるんです。
ジーコが提唱した「黄金の中盤」が破綻した一因も、トルシエのガチガチ規律サッカーがある程度の結果を残したのも、日本人選手に「自主性」が無いから、というのは少し言い過ぎでしょうか。
でも少なくとも「自分で決断して行動する」というのは日本人にとってはかなり苦手な分野だと思います。
オシム監督に再びご登場願いましょう。オシム語録より
日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。
自分がやろうとしていることと、選手たちができることをしっかりと分析してすり合わせる。そのなかで選手たちに自由を与え、自分たち自身で試合をクリエートできるようにしてやる。その過程で、選手たちを信じることが監督として一番大事なことだ。(共に一部抜粋)
この広島観音の試みは非常に面白いものです。ひょっとしたらこの小さな流れが、やがて選手育成の概念を打ち破る日が来るかも知れません。
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