1/14/2005

審判は神様じゃない!!けれど…。


こんな経験はないでしょうか?


 今日は待ちに待った試合の日。朝から天気もよく絶好の観戦日和。気分良く応援グッズをバッグに詰め込み、いざ、スタジアムへ。

 思っていたよりも早くスタジアムに到着。いつもの観戦スポットに座席を確保。マッチデープログラムを読んだり、練習風景を見たりして、気分は徐々に高揚。

 試合開始30分前、アウェーのスタンドも混んできた。かなり気合が入っている様子。スターティングメンバーの紹介に揺れる、敵の大旗。

「ゴールキーパー、○○ ○○ 背番号1」

ドドン!!

「オィ!」

 次々とコールされていく相手スタメン。あいつは前節の怪我が響いているのかな?とかこいつがスタメンだと厄介だな、なんて想いはめぐる。そして…。


「本日の主審は×× ××」



 審判発表にざわめくスタンド。

「おい、××らしいぞ」

「こりゃ試合荒れそうだな」

「うちの△△退場にならなきゃいいけど」

 アウェースタンドもなんとなく不安げな様子。
 
 いよいよ試合開始。だがしかし「ここいいとこなんだよ!!」という場面でことごとく聞こえるエキセントリックな笛の音。乱れ飛ぶカード。ぶつ切りになっていく試合。溜まっていくフラストレーション。

「俺の休日を返してくれーっ!!!」


おちついてください。


(写真はイメージではありません)




 サッカーの試合は、あくまで選手が主役。のはず。だけどたまにあるんですよね。審判が一番目立っている試合。なんとかならないかなって、ずっと思ってました。



 このブログで度々ご紹介させて頂いています宇都宮徹壱さんが、この問題について、とても興味深いコラムを書かれています。
2005年の笛の音は?第4回フットボールカンファレンスより
笛を吹く基準やアドバンテージについての議論は、なかなか一筋縄ではいかないテーマである。だが「レフェリーは、試合の流れやリズムを常に感じていなければならない」という高田氏の一言が、すべてを言い表しているようにも思える。
(中略)
日本の主審が必要以上に笛を鳴らさず、もっと表情豊かにレフェリングができたら、何枚もカードが乱れ飛ぶという荒れた試合はぐんと軽減されることだろう。
(中略)
時に批判され、時に評価され、常にメディアの注目とファンの議論に晒されながらレフェリング技術を向上させること――それこそが、真の意味での「審判のプロ化」ではないだろうか。

 気がつくと、いちいちウンウンと唸る自分がいました。審判は試合をコントロールするのが目的であって、自分の判断基準を杓子定規に当てはめて、権威を振りかざす存在であってはいけないんですよね。
 反対に言えば、観る者、プレーするものがストレス無く90分間を過ごす為には、審判の的確なジャッジが必要なんです。サッカーって、プレーヤー達が同じプレーをしても、審判のさじ加減一つで、名試合にも泥試合にもなるスポーツなんです。
 コラムでも触れられているのですが、日本人審判のレベルアップは、日本サッカーのレベルアップにも繋がる大事なファクターの一つです。良いジャッジが好試合を生み、好試合が名選手を育てるんです。
 日本サッカー協会もその点は考慮しているようですが、審判ひとりひとりの意識が無ければ、いつまでも「俺の休日をかえしてくれーっ!!!」ってことになってしまいます。家○さん、高○さん、上○さん、恩○さん、ちゃんと判ってますか?しまいにはサポーターからレッドカードなんてことになりますよ!!

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