6/24/2005

日本蹴球の可能性。

 スポーツナビに宇都宮徹壱さんがコラムを寄せている。ブラジル戦について、少し辛口の言葉が並ぶ。

 言われてはたと気がついたのだけれど、確かにタイムアップの時、予選リーグ敗退が決まったにもかかわらず「ブラジルをここまで追い詰めたんだ」という妙な達成感が有った。睡眠不足とあいまって、今日はハイテンションで仕事をしていた。


 少し話は飛ぶ。以前シドニー五輪の時、セルジオ越後氏が

「日本サッカーは柔道と同じ気持ちで行かなくてはいけない」

 と突然言い出した事が有った。

 実に奇妙な切り出しだったのでよく覚えているのだけれど、日本の柔道家は五輪では必ず金メダルを要求される。銀ではダメなのだ。日本のサッカーも「いい試合した、よくやったな」ではダメ、そういう環境をまわりが作らないと。という主旨の、例の口調での発言だった。


 あれから5年経って、違う人から同じ事を指摘されたという事は、この気質は一朝一夕には変わらない日本人のメンタリティーなのだろうか。


 ただ93年にJリーグが開幕してから、ワールドカップは3回行われ、最終予選敗退、一次リーグ敗退、ベスト16と、結果だけ見ると順調に成長している。

 アジアカップも92年に初制覇。00年レバノンでは西アジア開催では初めての東アジアのチームの戴冠。04年中国では政治的圧力にもかかわらず連覇を果たした。


 J以前、日本代表は東南アジアの国にも手を焼くような存在だった。存在自体人々の話題の中心になるようなことも無かった。したがって例え単発で良い試合をしたとしても「感動を有難う」なんて言葉も出なかった。

 それがJ開幕から12年でブラジル相手に2-2という試合をしても満足するな、というのはいささか難しい話では無いかと思ってしまうのは、やはり甘いのだろうか。


 仕事帰りに見た夕刊紙の一面から三面まではすべてブラジル戦だった。地下鉄に揺られながら見ていると、周りの、あまりスタジアムでは見ないようなおじさんたちが、私の持っている新聞の裏を食い入るように見ていた。隣にいた男性は、サッカーに興味が無いといった風の彼女に、代表の事を熱っぽく語っていた。


 たった12年で、地下鉄の話題が一変した。もう12年経ったら、

「ブラジルに引き分けだってよ、ダセー!」

 なんて声が聞けるのかもしれない。

 
追記

 ところでこの徹壱氏、コンフェデではよく湯浅健二氏と共に行動している。文体とテンションの全く違う二人。会話はかみ合っているのだろうか?






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